2008年09月21日

母の代わりに。。


毎日がとっても忙しい!!!



母が姉の離婚問題のため、九月初旬から大阪へ行った。

帰ってくる目処は立っていない。






母の代わりに この田舎の広い家の管理が始まった。

300坪の敷地の草引き。
抜いても抜いても 片っ端からどんどん生えてくる。

もう、ボウボウになってきた・・・



築150年を越える大きな家屋の拭き掃除。
今時の家のような光沢がないので、常に拭かないと家全体がくすむ。



三食分の食事と父の晩酌のあて。
神主の父の仕事のため、今のお彼岸の時期は早朝からお弁当を作る。

父はとってもグルメ。同じ物は続けて食べないので、毎日一食ずつメニューを変える。



汗だくになって帰ってくる父の襦袢に袴に、、、毎日の洗濯物は多い。
汗かきで肌の弱い父は、布団やシーツも頻繁に洗う。
母のこだわりで いまだ二層式の洗濯機。。



祖母が30年以上前に作ってくれた敷布団はどれも重く、晴れの日は毎日干さないとすぐにカビてしまう。
とにかく、、、綿いっぱいで、、、重たい。



家中に点在するお花。
本宅と離れ、一輪挿しから床の間の本格的な活け花まで、17箇所を管理する。






家を維持するとゆうこと。


どれほど大変なことか、実感している。


自分の時間などない。
少しでも時間があれば、体を休めたい。





でも、今の生活はいやじゃない。

むしろ、とっても充実してる。



それは、、

父と二人、いがみ合いがないからだ。

心を刺すような言葉を発する母が居ないからだ。



私同様、父は30年以上母の言動に耐えてきた。

何度も家を飛び出したという父。


ありがとう ごめんなさいを 人生で言ったことがない母

(一度だけ 私が命をかけて訴えた時にだけ ”申し訳ないと思うけど・・・”と言った)


これを言った事がない母。どれだけ強情で勝気か、、、わかるでしょう。苦笑
自分の非を認めたことがないのだから。



私もずいぶんと母にやられた。
何度も自殺を考えた。

ウツになった私の言葉をバカにしてあざ笑う母。


憎い。けれど、やっぱり私のたった一人の母なんだ。
大事にしたいけれど、やっぱり憎いのだ。


そんな複雑な想いが入り乱れる毎日だった。




今。とっても穏やかな時間が流れている。


体は マックスにしんどい。
リンパも腫れて、いつもの「不調の合図」はすでに出ている。


けれど、心が楽ということが これほどまでも心地よいとは、、、







父は 毎日私に 「ありがとう」 と言う。

ふぁんきと晩酌しながら話をたくさんして、いっぱい笑って食べて休む。


本当に幸せだと、よく言っている。


私は母のように 着物の管理やいろいろなモノのアイロンあて、、、繕い物が出来ない。

足りないものがたくさんあるはず。



だけれど、父は

「いつもありがとう。けいこちゃんがいてくれて 助かるよ」

って言ってくれる。



ふぁんきに関しても父は、「福の神が天から舞い降りたようだ、、、」と感謝感激。。
無理もない。。

私が身を守るために沖縄に逃げた時、父は私が死体になって帰ってくるかもしれない。と覚悟をしていた。

それほどの情況だったのだ。


今のふぁんきがいる環境が、私達親子にとっては奇跡のよう。






忙しい時間の中で、 フッと思う一つのことがある。






毎日 草引きばかり。。
掃除以外のことはおざなりな母。

父にも私達にもご飯を作らず、お菓子で済ますような食を大事にしない人。

精神的にしんどいことや 体力を使うようなこと 大事なことからずっと逃げ続ける母。
私達娘、むしろ父とさえ、向き合ったことなど一度もない。




ずっと、こんな母を責めてきた。

挙句の果てに 私の命すら追い詰めて勝とうとした母を憎んでる。




今、母の使う道具をにぎりながら考える。





、、、、、、母は どんな気持ちだったんだろう。





素直になりたくてもなれない苦しみは 私がよくわかってる。

人に負けれない苦しみも経験してきた。





母がご飯を作らない。

父は、母を罵りながら自分でご飯の準備をする。

私達も各々黙って食べる。





母は、何よりも庭に草が生えることが我慢ならないのだ。


ずっと兄弟や親、私達家族に認めてもらえない母は、

「お庭も家も綺麗にしちょってですね。素晴らしい」

と言ってくれる人々の言葉が 唯一の母の人格を肯定する事。



もともとの性格プラス 「そこを死守しなければ、、、」の脅迫観念がくっ付いた。





母にとって、草引きは自己肯定の行動。

草引き以上に 意味があるのだ、、、




ならば、ご飯くらい私がやればいい。

作るのが好きなのだから、母のやらせず私がやればいい。



母に対して憎しみが強かったから、母の体が動かなくなっても倒れても、無理にでも作らせたかった。

私の痛みを 嫌でも解らせたかった。


復讐だった、、、





でも。もういい。



今まで、母が出来る限りの力で、この家を維持してきてくれた。




これからは、全部とは言わない。やるとも言わない。

でも、私が出来ることは私がしよう。



今の状態では アクセサリーを作ることも、画を描くことも出来ない。




家を守るとは、こういうことなのか、、





無理してやらなきゃいけないことなんてない。

自身が経験したこと。ふぁんきと共感できるところ。

やりたいと思う事をすればいいのだ。



なのに、母にはやらなければダメだ!!!と、私は責めてきた。

ずっと責められたから、攻めてきた。





母が居なくて心楽なのは どうしようもない本心。

寂しいと思うより、楽だと思う気持ちのほうがはるかに勝っている。




でも、その母が居てくれたから、私は制作時間が持てた。

何かを一から生み出すとは、本当は片手間には出来ない。



少なくとも、私には出来ない。



その時間は 父が自分で自分のご飯を作り、母が家の管理をし、

私に負担をかけなかったから作れた時間。





今、アクセサリー制作をストップして長い。

まだ作れない。。作りたくない。



でも、やりたい事がある!!!

ずっとやりたいと思っていたこと。



今だからこそ、やろう。





家のこと、父のこと、これからはこっそり母のことも、、、

ストレスにならない程度で、できることをしてみようと思う。







それは、本当は誰のためでもなく、自分のためだ。






忙しい毎日の中、先日街に出来たパン屋さんに行ってきた。

父の仕事のついでに、食料品の買出しに街へ同行させてもらった。


母の代わりに。。






どうしても一人ゆっくり本を読みながらお茶する時間が欲しくて。




母の代わりに。。





忙しい毎日だからこそ、こんな時間が嬉しい。




そして、父の「ありがとう」のおかげでまたやれる!








まだ母を許したりはできないけれど、ちょっとずつカタチが変わってきている。


そうやっていつか”時”が訪れるのだろうか、、、





たまには 離れてみるもんだな。

怒りに埋もれて見えなかった想いが見えてきた。









毎日 たくさんの”ありがとう”を見せてくれるふぁんきに感謝。

ゆっくりだけど、ここまできたよ。



ありがとう。



母の代わりに。。



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Posted by 風音んちゅ at 09:52│Comments(0)風音の家族
 
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